松下村塾 萩城下町  山口県

幕末のロマン感じる萩城下町

上の写真は明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祭神とする神社です。
明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などにより松下村塾の改修が行われ、松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立されました。

松下村塾  (松陰神社のすぐ近く)

松陰神社の松の茂る清浄な境内を進むと、吉田松陰歴史館等をすぎると、左手に「松下村塾」があります。
吉田松陰は、1857年(安政4年)年出獄して、杉家に幽閉中、叔父玉木文之進の松下村塾を引き継ぎ、安政の大獄により29歳で刑死するまでの2年半、若き門下へ新しき日本を拓く実践の道を熱く説きました。当時、吉田松陰28歳の若き師は、高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、山県有朋など幕末から維新にかけて光彩を放つ人材を育成しました。 この松下村塾は、杉家の物置小屋を改築したもので、質素な小さな建物です。 藩が作った学校である明倫館へ入学できないような下級武士の子弟が多く学んだことも有名な話です。その原点がここ松下村塾にあります。

上の写真が幽閉されていたところです。


神社内には吉田松陰歴史館という建物があります。(上の写真)

松陰団子

神社内には、松陰先生が残した言葉がずらっと建てられています。

吉田松陰の名言・格言

夢なき者に理想なし、

理想なき者に計画なし、

計画なき者に実行なし、

実行なき者に成功なし。

故に、夢なき者に成功なし。

吉田松陰の名言・格言

小人が恥じるのは自分の外面である、

君子が恥じるのは自分の内面である。

人間たる者、

自分への約束をやぶる者が

もっともくだらぬ。

死生は度外に置くべし。

世人がどう是非を論じようと、

迷う必要は無い。

武士の心懐は、

いかに逆境に遭おうとも、

爽快でなければならぬ。

心懐爽快ならば人間やつれることはない。

吉田松陰の名言・格言

人間には精気というものがあり、

人それぞれに精気の量は決まっている。

この精気なるものは抑制すべきである。

抑制すればやがて溢出する力が大きく、

ついに人間、狂にいたる。

しかし、おのれの欲望を解放することによって、

固有の気が衰え、

ついに惰になり、

物事を常識で考える人間になってしまう。

明倫館

1718年に5代藩主であった毛利吉元が、毛利家家臣の子弟教育のために設立しました。

「萩・明倫学舎」は、その跡地に立地している学舎です。平成26年3月まで授業が行われていた旧明倫小学校校舎が、新たな萩の観光起点として生まれ変わりました。
藩校の貴重な遺構と跡地に建つ日本最大の木造校舎です。

この奥に建っている木造建築は、昭和10年に建てられてから2014年まで、実際の小学校校舎として使われていたそうです。

明倫館の廊下の雰囲気です。

上の写真は高杉晋作の生家です。高杉晋作は、奇兵隊などを創設し、倒幕に向けて活動した維新の志士のひとりとして有名な人物です。

1839年に生まれ、藩校明倫館に通う傍ら、松下村塾にも通い頭角を現しました。

久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一とともに「松下村塾四天王」と呼ばれています。

高杉晋作の名言・格言

おもしろき

こともなき世を

おもしろく

高杉晋作の名言・格言

戦いは

一日早ければ

一日の利益がある。

まず飛びだすことだ。

思案はそれからでいい。

桂小五郎の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われた木戸孝允の旧宅。生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした木造瓦葺の2階建ての家は、中に入ると、誕生の間や幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。
木戸孝允は、天保4年(1833)、萩藩医・和田昌景の長男として生まれました。後に藩士・桂家の養子となり“桂小五郎”の名でも知られています。藩校明倫館に通い吉田松陰の兵学門下となり、文久2年(1862)藩の要職に就き京へと出て国事に奔走。慶応元(1865)年、藩命により姓を“木戸”と改め、翌年、坂本竜馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと“薩長同盟”を結び明治維新に尽力。維新後は、五箇条の御誓文の起草、版籍奉還、廃藩置県などの推進に功績を残しました。明治10(1877)年、西南の役の途中で病死。享年45歳。

城下町界隈です。

上の写真が松陰先生が投獄されたところです。
野山獄には、安政元年(1854)海外密航に失敗した吉田松陰が投じられ、岩倉獄には従者だった金子重之助が投じられました。松陰は、そこで仲間の囚人たちに孟子の講義をするとともに自らも俳諧や書を学びました。また獄吏でさえも廊下で松陰の講義に耳を傾けたといわれており、前例のない教育活動を行いました。

壕と城壁の一部、石垣が残る萩城跡。旧本丸が公園となり春は600本のソメイヨシノが満開になる桜の名所でもあります。

萩城は、1604年(慶長9年)に毛利輝元によって築城されました。

海に面した指月山という山の麓に建てられているため、まさに天然の要塞です。この立地から指月城とも呼ばれています。

非常に残念なことに、萩城は1874年(明治7年)に解体されました。


城下町界隈を散策すると奇兵隊が歩いています。



明倫館の道路挟んで向かい側に萩市役所があります。

萩市内のセブンイレブンです。

萩市内のマンホール

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