彦根城 城めぐり 滋賀県

400年前に建てられた彦根城。

明治時代の廃城令で、近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城だけです。

井伊家三十五万石の礎として築城されたお城で、姫路城、犬山城、松本城、松江城とともに国宝に指定されています。

三層白亜の天守は高さ21mと小さいけど、遠くから見ると大きく見えるように工夫されています。妻破風、入母屋破風、唐破風など多様な様式を多く組み合わせが大きく美しく見せています。二重のお堀に囲まれた城郭や、大名庭園とも呼ばれる、名園から望む風景も一見の価値があります。

彦根城の歴史

徳川家に時代の流れが傾く中、築城ラッシュで材料が足りない最中、建築されました。そのため、天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築されているところが特徴です。
そのため、天守は2年足らずで完成

彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。 この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となります。

コの字型のやぐらになっている珍しい造りで攻撃しやすいようになっています。

築城400年を記念して誕生したゆるキャラ「ひこにゃん」です。

階段は敵が攻めにくいように、バラバラの高さの階段になっています。

ここの橋は敵が攻めてきたとき、落ちるように設計されているそうです。

近くで見ると小さく見えます。

結構、急な階段でした。

玄宮園

彦根城の北東にある、天守を借景とする大名庭園。

延宝5年(1677年)に4代藩主井伊直興が造営し、延宝7年(1679年)に完成。一説には、中国の瀟湘(しょうしょう)八景または近江八景を模して造られたと言われています。

広い池を中心とした回遊式庭園です。

埋木舎

7歳で父を亡くした13代藩主・井伊直弼が、17歳から32歳までの15年間を過ごした舎。

「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」と和歌を詠み、自ら”埋木舎”と名付けました。

ここで培った精神が、徳川幕府の大老として開国の父となった才能へとつながったと言われています。

庭から表座敷、奥座敷など見ることができ、井伊直弼ゆかりの資料などを展示しています。

彦根城のお堀にかかる京橋からすぐの場所に伸びるストリート。

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